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rooftop(株)代表者経歴

rooftop株式会社

2022年12月23日

永友のこれまでの経歴を赤裸々に告白します(長文)。


お世話になっております。

rooftop株式会社代表の永友健斗(ながとも・けんと) 今年28歳です。


当社は、Web広告代理業とマーケティング支援事業を展開しております。

2020年7月創業で、今年で3期目に入りました。


これまで紆余曲折あり(まだまだ、これからも有ると思いますが)、

今までブログ形式で公表してこなかったため、

今回の機会に、これまでの経歴と今後の展望をお伝えできればと思います。

(会社と関係ない雑記のような、拙い長文ブログですが、ご了承ください。)



幼少期〜中学校

宮崎県都農町に生まれ。3人兄弟の末っ子・長男です。

実家は、周りは田んぼに囲まれたThe 田舎。

最寄駅(無人駅)や街のスーパーまでは、車がないと行けません。。


小学校1〜4年生は、「分校」と言われる本校から離れた生徒向けの小学校に通っていました。

クラスメイトは8名。まさにアットホーム。

さらに言うと、1・2年生は同じクラスで共学で授業を受けます。

(先生は、前後の黒板に行き来して、2つの学年を同時に教えていました笑)

5,6年生からは、歩いて1時間の本校へ通い、野球クラブと将棋クラブに通い始めます。


中学校では、「宅習」という、宿題とは別課題がはじまりました。

指定ノート見開き1ページを使い、そのノートにその日の授業で習ったことを書いていきます。

ここで変なスイッチが入り、見開き1ページという限られた範囲に、学習内容をこれでもかとびっしり埋めるというセルフ・タスクを課しました。


その甲斐もあってか、高校では1学年13クラスもある県内一のマンモス高校に特待生で入学できました。



高校

高校に入学した頃、iphone4Sが日本に入ってきました。

スマホ!ボタンの無い携帯電話!?、発想が奇抜過ぎて、驚いていたのを思い出します。

iphoneのスマートで、直感的な設計とデザイン、心地よいスライドの動きと音。


私は、すっかりAppleのスティーブ・ジョブズに心酔してしまいました。

何度もスタンフォード大学でのジョブズの演説を見ては、クラスメイトに「俺は、将来経営者になる!」と言っていました。


ジョブズのような世界を革新させる凄い人になりたい。

世界はまだまだ広い。もっと広い世界が知りたい!との思いが強くなってきました。


そんな時、担任の先生(28歳くらい)の同級生がオーストラリアに行き、大道芸人をしているとの話を聞きました。

聞くと、ワーキングホリデーという18歳〜30歳まで申請できるビザ制度があるのだそうです。


「よし、世界を見に行こう!」

やると決めたら行動の早かった私は、高校3年生で18歳になった時、周りが大学受験勉強をしている中、ワーホリビザを申請していました笑



オーストラリア(ワーホリ)

高校3年生の2月の受験シーズンが終わると、3年生は卒業式まで通学する必要はなくなります。

早く海外に行きたかった私は、親に「もうオーストラリア行く。卒業式は出ない。」と伝えました。


そして、2月。シドニーに降り立ちました。


親が心配しながら車で宮崎空港に送ってくれる中、

私は期待と不安のなかで、それを悟られないようにと「速読英単語」で英単語を音読していた記憶があります。笑


シドニーに着くと、ホストファミリーに迎えられ、新生活スタートです。




不安に押しつぶされそうな中、月曜から語学学校へ通い始めます。


プレ中級クラスに入り、欧州やアジア、南米、中東から来ているクラスメイトと初めての国際交流です。

ブラジル人と話している時、世界地図を見ながら「日本って、どこ?、ここ!?」って「中国」を指された時、これがカルチャーショックか。と痛感しました。


授業中もリンゴをかじりながら聞いていたり、挙手の仕方一つとっても違います。

国ごとに国民性も考えも違い、唯一の共通点は、お互いに拙いコミュニケーション手段(英語)を持っているという点のみです。


文化や育った地域が違うと、こんなにもコミュニケーションコストがかかるのか。

日本文化の「暗黙の了解」や「察する」なんて相手に求めても、そんな感覚伝わる訳もなく、相手からは、ただの「何考えているか分からない変な人」とのレッテルが貼られます。笑


世界広し。グローバルスタンダードとは、多様な人の価値観に対しても横串させるような普遍的で抽象度の高い基準なんだな。と身を持って体感しました。



シドニーは、ビーチも近く、週末はBBQが盛んです。

公園もとても広く、自然豊かでのんびりした街です。


放課後は、公園に行き、1日3人現地のオーストラリア人に話しかけて、ノートに英語のレビューを書いてもらうというミッションを課していました。


いきなり英語で話しかけるのは、勇気も必要でしたが、

オーストラリア人は、みんなフレンドリーで、ほとんど断られた記憶がないです。


振り返ると、大変だったけど、英語と勇気と文化理解が学べるとても良い環境でした。

他にも、バイト面接落ちまくり問題や、深夜列車の乗り間違えで山奥にいった体験などいろいろあります。


お金もかかっただろうに、18歳でこんなに濃い留学経験を許してくれた両親には、とても感謝しています。



大学時代

日本に帰国後、受験勉強が待っています。


東京の私立大学へ行きたかったものの、すでに申込時には、中期か後期入試しか選択肢がなく、

オーストラリアでお金使わせすぎた手前、受験しに東京まで行くとは言いづらく、あえなくセンター利用で出願できる大学を選びました。

駒大の法学部に受かり、上京します。


大学では、旅行サークルに入り、飲み会・旅行を楽しみました。

「大学は、人生の夏休み」という格言があるように、渋谷に出向いては朝までハッチャケていました。

東京の親友(戦友?)も出来て、シェアハウスで住んだり、ビーチに行ったり、筋トレしたり充実した時間でした。


遊びだけではなく、下村博文・文科大臣の講演会を企画したり、法律研究会で裁判官・弁護士・学者の前で論旨を発表したり、プレゼンサークルを立ち上げたり、ホテル泊まり込みで選挙の手伝いをしたり(衆参・都知事・都議選)、フィリピン・セブ島に短期留学したりと真面目な活動もしていました。



IT企業へ新卒入社

これからは、テックやITの時代であると思い、メーカー系IT企業に入社。

ソリューション法人営業職として働き始めます。


同期の中で、誰が一番早く成果を出すかを密かに競っていました。

また、新入社員による「1年後にコミットする」という事業部長・部長向けにプレゼンする機会が、私の入社年度から始まりました。


これは面白いと思い、戦略を立ててプレゼンしました。


営業戦略としては、

ベテラン・中堅には正面勝負では敵わないため、ベテラン・中堅が手を付けていないニッチな新技術(当時はRPA)をそこだけは誰よりも、深く社内一レベルの知識を付けることで、一点突破を図るというものでした。いわゆる、同じ土俵で戦わない!です。


プレゼンの入りはバッチリ。

「私は、大学時代、渋谷でナンパしてきました」

「この経験は、新規法人開拓で活かせます。なぜなら〜。」


当時は、恥ずかしくイジられた苦い思い出ですが、

実際に、同期内最速で新規法人開拓を勝ち取り、高い目標件数もコミットさせました。


1年後の振り返りプレゼンで褒められるとともに、事業部長からこんな質問を受けました。

「そのモチベーションは、どこから来てるの?」

私は、ハッとして、答えられませんでした。


正直に言うと、

新入社員で組織に対して、まだ無知であったからこそ、頑張れたのです。

頑張れば頑張るだけ報酬で報われるはず。と、淡い期待を夢見ていたからこそ頑張れたのです。

しかし、年功序列で高齢化している日系メーカー企業では、営業インセンティブはありません。

頑張ったら、頑張った分だけ翌期の営業目標も増えていきます。


この働き方では、いつまでも裕福にはなれないな。

やはり自分でビジネスを立ち上げる以外に、豊かになる方法は無いようだ。

そう思い、副業から始めました。


副業:キッチンカー事業 rooftop

2019年8月1日、社会人2年目の夏です。

大学時代の友人2人を誘い(後の役員)と3人で、サラリーマンでも出来る副業はないかを話し合いました。


3人で話し合い

・金夜、土・日に稼働できる仕事。

・土地勘のある渋谷で出来る仕事。

・ワクワクする仕事。

・お金がかからず、在庫が少ない商売。

は無いか?を探りました。


出した結論は、

「渋谷の道玄坂・ナイトクラブATOM前で、お酒キッチンカー出して、テキーラショットをクラブの半値で売れば絶対に買うよね?」「間違いない!」


そうと決まれば、実行!


しかし、若いって怖いもの知らずですね。

(今思えば、道玄坂のクラブ前でテキーラ売るなんて、怖いお兄さん相手に喧嘩売ってるようなもんです。笑)


キッチンカー購入、場所の許可、保健所許可を取って10月から営業開始しました。

ATOMの真正面、ラブホの裏口の小さなスペースです。



その頃、ラグビーW杯やハロウィンシーズンであり、お店の前は溜まり場となって、ドンと売上が立つ日もありました。


平日は、会社員。

金・土・日は、朝までキッチンカーというハードワークを行なっていました。


2020年2月、そこに襲いかかったのが新型コロナウイルスです。

飲食業にとっては、まさに死活問題。


rooftop株式会社 設立(レンタルオフィス事業)

個人事業rooftopは、キッチンカー事業で貯めた資金をもとに、2020年7月、資本金400万円で法人化しました。

キッチンカーに変わる、新たなビジネスを作らなければ。。



新しいビジネスは、

コロナ禍で急速にニーズを伸ばしているレンタルオフィス事業。

もちろん大企業の資本力には到底勝てないので、BtoBサテライトオフィスではなく

目指すは、CtoBの中小企業向けサテライトオフィスプラットフォームの構築。


スペースマーケットやスペイシーのような個人が貸し出している個人向けレンタルスペースを、

rooftopのプラットフォームで法人に向けてもサービス提供するというもの。


レンタルオフィス事業の失敗と撤退

2年ほどお世話になった会社を辞めて、代表としてレンタルオフィス事業を開始。

せっかく入った大企業を辞めると言うと、絶対に心配するので、親にも伝えられずにいました。


残りの2人は、辞めるとは言ってくれたものの、

役員報酬も出せないので、とりあえず今の会社のままで働いてもらいました。


サイト設計・構築できるWEBエンジニアをランサーズで探して依頼、進捗共有、リリース後に掲載してくれるレンタルオフィスにアポ取りの営業、面談、掲載申込書へのサインなど、ベンチャーキャピタル探しなど、時間とお金を垂れ流す絶望的な状況でした。


たった400万円で、Jカーブを描くスタートアップなど持ち堪えられるはずがありません。


そんなある日、スペースマーケットが法人向けサービスへ進出するとのニュースが出ました。

CtoBの企業向けサテライトオフィスプラットフォームです。


絶望です。

早急に、事業の撤退を決めました。


2人には、会社役員も降りてもらいました。


考えが本当に、甘々でした。

そんな思いつきビジネスプランで、成功すれば誰も苦労しません。

市場や競合などの外部要因で一瞬で吹き飛ぶ軸足のない事業でした。



もう一度、会社員としてやり直そう。

次は、ビジネスに活かせるマーケティングを学びたい。

そう考えて、WEBマーケティング会社へ就職することにしました。


WEBマーケティング会社へ転職

WEBマーケティング会社は、ベストベンチャー100に選ばれるほど若く活気のあるベンチャー企業でした。オフィスも六本木の超高層ビルにあり、側から見たらキラキラ企業です。


しかし、中身はベンチャー。

Web制作や電話営業、記事作成、クリエイティブ作成、広告運用など幅広い業務を分単位で行います。

社員のほとんどが20代で、大企業の働き方の違いにいい意味で驚きました。


服装も私服だし、パッと見は、自由な空間であるようで

実際は、各々が、戦々恐々と日々のタスクとノルマに追われて働いています。


ここで学んで、次のステージへ移るんだ。

みんな今は、一番が辛い時期だと思い、魂を売って働いてました。

まるで、プラダを着た悪魔のような気分です。


事業会社のマーケティング部へキャリアアップ

WEBマーケティング会社の経験を活かして、不動産投資系会社のマーケティング本部に転職しました。

ここでは、不動産投資のWeb広告運用や新規事業立ち上げ、グループ企業のマーケティング支援など、じっくり腰を据えてマーケティング戦略から実行まで携わらせてもらいました。


上司にも恵まれ、やりたいと言ったことは、責任と権限とともに、自由にやらせてもらえる環境です。

新規事業は、ショッピングモール、仮想通貨プロジェクトや美容クリニック支援、他にもECショップやホテル、グランピング施設など、様々ありマーケティングの企画や実行までとても成長の機会の多い会社でした。


ここで学んで、独立する。

そう心に決めて、前向きに業務に取り組みました。


そうこうしていると、横の繋がりも増えていきました。

Webマーケティングで独立したいと告げたときには、一緒にやっていきたい、ウチのマーケティング支援もして欲しいとありがたいお声かけと案件を頂きました。


2022年3月、休眠させていたrooftop株式会社を、Webマーケティング会社として再スタートさせました。


マーケティング事業でrooftopを再開


2022年2月末まで働いた後、お声かけ頂いていた会社から案件をもらい、rooftop株式会社は創業初めて売上を立てる企業となりました。


しかし、役員報酬ゼロです。

レンタルオフィス事業で、悪化しきっていた財務基盤の立て直しが急務だからです。

極力、出血はだせない。

その結果、なんとか2期目は黒字化まで持っていくことが出来ました。



3期目に入り、役員報酬も出せるようになり、徐々に、ビジネスも軌道に乗ってきました。

黒字幅もさらに広げていける見込みです。



実は、これまで無借金で(自己資本100%)で事業をしてきました。

Web広告運用やマーケティングは、在庫を持たず、設備投資や固定資産も必要ありません(PCとWifiさえあれば良い)。


しかし、広告費は月あたり数百万円(場合によっては数千万円)支払う必要があり、クレカ払いが出来るとはいえ、現金・預金が必要なビジネスモデルでもあります。

そのため現在まで、広告主から広告費をデポジット・前金で頂いておりました(感謝)。



とはいえ、今後さらに取引先を拡大・成長するためには、

銀行からの運転資金が必要です。

そのため、現在は、公庫からの借入金の割合を増やしているフェーズです。

(借入以上の預金額を口座に置いてあるため、実質無借金経営ですが。)


今期は、さらに取引者数を増やして、「Webマーケティング事業」が日々の売上を安定的に稼ぐためのキャッシュエンジンとして、機能する仕組みを作っていきます。



新規事業立ち上げと今後の展望

「Webマーケティング事業」が、安定財源のキャッシュエンジンだとすれば、「新規事業」は、未来への投資と挑戦です。


「Webマーケティング事業」は、労働集約型で安定的に稼ぎやすいですが、大きくスケールすることはありません。スケールさせるためには、今後の収益の柱として、自社プロダクトを作る必要があると考えています。


現在、宮崎の林業関係者と、市場に出回らない木材の廃材を再利用して、キャンプ用品が作れないかを検討しています。


まだ、公表できることは少ないですが、

2023年は、この両軸のバランスを取りつつ、新たな収益モデルの確立を図るはじまりの年となるよう取り組んで参ります。



以上

ご覧いただき、ありがとうございました。


rooftop株式会社

永友健斗




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